星のしずく暮らし

自然と共に ゆったり暮らそ

トロロンロン

もう、ちょっと前の話になってしまいましたが、2週間に一度の春日の整体『からだ爽快庵』の山中さんの整体の時、1歳数ヶ月の男の子を連れたママさんが整体に来られました。


家族で風邪をひかれてたらしく、来られたのは熱が下がった直後で、ママさんも不調そうだし、お子さんも、鼻水がたくさん出て、調子が悪そうな感じでした。

うちには、何度も来た事があったのですが、ママが居ない状態で、私一人で面倒をみるのは初めて。


別の部屋での1時間の整体の間、こんな不調な子が大丈夫かなぁ…と、心配でしたが、とにかく1時間一緒に居る事になりました。



すぐに泣き出したその子を、大丈夫だからねぇ〜って抱きしめてましたが、悲しみが押し寄せてきて、一緒になってしばらく泣いてしまいました(涙)



そして、ある瞬間、その悲しみがピタッと止み、気持ちが切り替わったのが分かり、私の涙は止まりました。


でも、その子は泣いたまま。


その時に、整体で有名な野口晴哉氏の本の中の言葉を思い出しました。


私の中で、よほど印象に残っていたのでしょうね…


眠らない子に対して歌たった野口晴哉氏の子守唄なのですが、その時私は、心の中でそれを「泣いててもいいよ。笑っててもいいよ。どっちでもいいんだよ。」って置き換えていたようです。


で、「慰めよう。泣く事を止めさせよう。」という想いを捨てました。


自分が「〇〇しよう」という想いを持たずに、その子が抱いて欲しいと寄ってきた時には抱き上げ、ただ見つめ続けました。


私が子育てのいろんな事を教えて頂いた竹下雅敏氏が以前仰っていた、「子供がお母さんから離れて遊んでいて、時々お母さんいるかなぁ〜と思って、お母さんの方を振り返る。ずっと子供の方を見ているお母さんは、その時にちゃんと子供と目が合う。子供は、お母さんはちゃんと見ていてくれてると安心して遊びを続ける。子供は、このお母さんはちゃんと自分の事を見ていてくれているという事がとっても嬉しい。」と、こんなお話だった様に記憶しています。


この事は、私が子供達と過ごす時に一番大切にしている事です。


一緒にいて、意識を注ぎ続ける。




すると、時々、泣き止んではゴソゴソとお母さんの荷物の中の物を出しては遊び、夢中になりそうになると、ハッとお母さんを思い出して泣く。


この事をずっと繰り返していました。



最後まで泣き続けてはいましたが、でも、もう悲しくはなかったと思います。



整体が終わって、ママさんと山中さんが出て来て、山中さんが「まるで、バクティヨーガやねぇ〜ラーマクリシュナが、マー!マー!って言ってたのを思い出した」って(爆)



私にとって、ホントに学び多い1時間でした。




私が思い出した野口晴哉氏の事を書いたサイトを見つけたので、ご紹介を。






ケダモノのすすめより転載
http://ryuujienokida.blog120.fc2.com/blog-entry-47.html



トロロンロンの話



僕の先生のお父様は野口整体創始者野口晴哉氏です。

僕の先生の長男が小さ頃が中々寝なくて先生も奥さんも半分ノイローゼになりかけた時、お父様である晴哉先生に泣きついたそうです。

晴哉先生はその子を抱くと即興の子守唄を歌ったそうです。

「眠っても好いんだよ、眠らなくっても好いんだよ、どっちでも好いんだよ、トロロンロン」

すると信じられないことにあれだけ寝なかった子供がコテンと寝てしまったそうです。

「親の期待が強すぎて子供は眠いのに寝れなくなっている」という晴哉先生の指摘に愕然としたと僕の先生が言っていました。

「親」を「自分」に、そして「子供」を「心」に置き換えたら、僕たちにも当てはまる言葉だと思います。

前向きに生きなきゃとか、頑張らなきゃとか、頑張らないようにしなきゃとか決めないで、「どちらでも好いじゃない」というぐらいのおおらかさを持つ方が、人としてむしろ自然なのではないでしょうか?

以前、僕も自分の心の弱さに悩み続けていたことがあります。あれをしようこれをしようと心に決めてもすぐに気持ちが揺らいでしまうのです。頑張らなきゃと思えば思うほど頑張れなくなってしまう。

でもある時、心は揺らいでこそその働きを全う出来るのだということに気づきました。

揺らがない心は死んでいる心です。
心が揺らぐのは当たり前なのです。
揺らぐものは頼りになりません。
心はほっておけばいいのです。

頼るべきは中心感覚でこれは身体的訓練によって誰にでも獲得出来ます。

だから揺らぐ心には「トロロンロン」とささやきかけてあげるだけでいいのです。