15年ほど前、大分の九重周辺に住んでいた田舎暮らしの仲間達が、耶馬渓にある厳浄寺というお寺に集まったのでした☆
厳浄寺は、九州では最大規模の地方豪族の中世山城のある山々が見渡せる小高い場所にあり、下に広がる田んぼと、高く連なる山々がホントに綺麗でした!
玄関の横には、子供達が植えたというスイカがツルを伸ばし、小さな実がついていました☆
清々しく、ほのぼのと温かい場所で、ミカミカが「みかちゃんが、きっと好きな場所だよ♪」って言ってたのが、よく分かりました☆
原発事故をうけて、宮城から大分へ戻ってきた家族のお帰りパーティーも兼ねての20人ほど集まった一品持ち寄りのお食事会♪
私は、前日に、ご近所さんから頂いたサツマイモの茎を煮物にしたり、パンを焼いたり☆
たくさんの仲間達が集まる時には、ポットにお茶を沸かして、お茶やマイ箸、マイ食器も持参します!
パン切りのまな板や包丁、パン籠なども。
器たちは、もちろん自作のもの☆
私は、天草へ移住してたので、もう10年以上会ってなかった方々もいたりして、ホントに懐かしい再会でした。
知らない方々もいらしたので、まずは一人づつ自己紹介☆
うちうちで話を聞いてたりしていて「あ〜あなたが、噂の○○ちゃんなんだぁ〜はじめまして!」なんて事も、たくさん(笑)
テーブルの上に、並んだ一品持ち寄りのご飯たちは、さすがに田舎暮らし仲間達の作ったもの。
どれも手間隙のかかった手作りのものばかりで、原材料の野菜や小麦粉まで自家製だったりして、本当に美味しいものばかりのご馳走でした♪
お食事を頂きながら、みんなといろいろとお話したのですが、宮城から戻って来た友人に「土地を買い、自分で山を開墾して、切った木で家を建てて、動物を飼って生活を作ってきたものを捨ててくるのは、大変な想いだったでしょう…」って聞いたら、
執着は、なかったって。
ここでは、自分のしたい事が、出来ないって思った。
いい環境で、安全な餌をあげて放し飼いで育てた豚たち、無農薬のお米や野菜たち…それを食べてもらいたい。
それで子供を育てたいのに、自分達がそうして作ったものが、自分の子供に食べさせられないなら、ここで子供は育てられない!と思ったそうです。
福島から130キロ離れた宮城の山の中で。
だから、それまで丁寧に手間隙かけて作り上げてきたものを全て捨てて、友人達のいる大分へ戻ってきたのです。
もう一組、やはり神奈川から移住されてきた若い家族も参加されていました。
すぐに沖縄などに移住した方々も多かったとか…
小さな子供さんのいらっしゃる家族は、目の前の命を守る為に、全てを捨てて新しい暮らしを始めようとされるのですね!
すごい事だなぁ〜と感動しました☆
そして、新しい土地で、たくさんの新たな出会いに恵まれ、たくさんの方々と助け合い、とっても満たされた感じでした。
私の暮らしていた南小国の田舎暮らし仲間達は、モノ作りをする方々が多く、お隣の九重の田舎暮らし仲間達は、自給自足的な農に関する方々が多くて、お互いに行き来しながら、遊んだりご飯を食べたりしていました。
この九重の仲間達に、私はたくさんの事を学びました。
ミカミカが、この仲間達は私の原点!とよく言っています。
本当に…
思い返してみると、私も16年ほど前、インド・ネパールの旅から戻り、長年住み込みさせて頂いてた南小国のお宅を出て、一人暮らしを始め、自給用の畑がしたい!と、九重で田舎暮らしをしていた方々を訪ねて畑や暮らし方を見学させて頂きました。
その時、泊まり掛けで体感させてもらった大地と暮らす感覚が、今も私の中に息づいている気がします。
こんな暮らしがあるんだぁ〜
人間、こうして生きていけるんだぁ〜って、日頃街中で暮らしている「当たり前」とは全く違った生き方がある事に気づきます。
畑でたくさん採れた野菜や柑橘類、山の栗達、作ってきたオカズ等々、みんなで分け合う物々交換も当たり前。
あげてる!って感覚や、もらってる!って感覚も、あまりありません(笑)
全て自然からの頂き物だから…分け合ってるだけ。
ここでもKOZOさんは、いつもの様に「ラジカセの調子がオカシイのよ〜先生、手術してぇ〜」とラジカセを渡され、手術してました(笑)
すぐに子供達が興味津々で集まってきて…
この人達と一緒にいると楽で、安心していられる。
自分が出来る事、得意な事を無理することなく、分かち合って、喜びあって…
宮大工さんの所に弟子入りして大工になった女性大工さんもいて、その方を棟梁にみんなで家も建てたりして…
豊かな大地があって、確かな人との繋がりがあって…幸せな事だなぁ〜とつくづく感じた一日でした。
浮羽に戻ったら、縁側に掘りたてのサツマイモが置いてあった(笑)
ミカミカ、声をかけてくれて、ありがとう!